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「A.Y」さんより「問い合わせ」を受け付けました。
2018/04/14 06:09
AYさん
今はお気持ちも落ち着かず、何かを見ては思い出して涙を流されていると思います。
最後までどうするか迷われたこと、それがAYさんが最後までやれることをやったという証拠だと思います。こうすればよかったのでは、ああすればよかったのでは、という思いは、どちらに進んでもきっと抱く気持ちです。
AYさんの心に強く残っているフェレットちゃんの最後の姿が今のAYさんを苦しめているのかも知れません。 本当はこんなことを申すのは正しくないかも知れませんが、気休めなど言っても何の助けにもなりませんので書いてしまいますね。 フェレットちゃんの最後の姿はAYさんの中でこれからきっとずっと残るでしょう。それを思い出してはAYさんは苦しい気持ちになると思います。それは時間が解決してくれるものではなく、これから先ずっと変わらずAYさんの中に残るフェレットちゃんの姿です。
時間が解決してくれるとすれば、思い出したときのAYさんの心の痛みや苦しみが今よりも1年後はきっと少し薄らいでいるでしょうし、5年はさらに弱まります。
でもそれはあくまで薄らいでいるだけで、消えることもなければAYさんがフェレットちゃんの最後の姿を思い出さなくなることもありません。
付き合っていくしかないですし、楽しかった記憶と共に最後の姿も丸くひっくるめてフェレットちゃんが生き抜いた一生の証としてAYさんの中に大事に収めてあげてください。
私は生きているフェレットは飼っていません。目に見えない天使のフェレット(=れぱん)を今も飼っています。 私は、フェレットという動物に注げる愛情は全て、まるでマヨネーズを絞り出すかのごとく全てをれの字に注ぎ切りました。もうフェレットという動物に注げる愛情は私には残っていません。 そのため今後も生きているフェレットを飼う予定はありません。
代わりに頭に同じ「ふぇ」が付くフェネックと暮らしています。やっぱり動物が好きなので。。。
フェレットちゃんを見送れて良かったですね。 AYさんの傍で息を引き取ってくれたフェレットちゃんに感謝ですね。
なーんて、さも平然と書いていますが実はAYさんのコメントをもらってかられの字を思い出して泣けて泣けて。悲しい涙ではなくて、懐かしくて会いたくて。 きっとこんなことを繰り返しながらこれからも私はれの字を想い続けるのだと思います。
私ね、思うのです。 動物を見送るのは辛いのですが、また必ず会えますから。私がこの世を去った時は、向こうの世界でみんな待っていてくれていますから。私はれの字にまた会えた時に「おねえちゃま、がんばりましたね」と言ってもらえるよう、今を生きようと思います。
AYさんもフェレットちゃんとは少しの間のお別れですよ。また会えますから。絶対に会えますから。それまではフェレットちゃんも向こうの世界でAYさんとの時間を思い出すでしょうし、AYさんもまた同じでフェレットちゃんとの思い出を繰り返し思い出しているでしょうし。そんな感じで時間が流れて、その時が来たらお互い笑顔で会えます。
AYさんも私も、フェレットに「ようこそ」と言ってもらえるように頑張って今を生きていきたいですね。 「何しに来たんですか。早すぎるでしょ」と言われないように。。。
それまでは大好きなフェレットの記憶と共に暮らしていきましょう。
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